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日本の酪農発祥の地に行ってみた!

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チーズラヴァーの皆さん、“CHEESE FM”のお時間です。
今宵も奥深く濃密なチーズの世界へ、ようこそお越しくださいました。
この時間は、普段聞きたいけど聞けないチーズの素朴な疑問をわたくし、DJゴーダが丁寧にご説明いたします。
本日もチーズラヴァーの皆さんよりたくさんのお便りを頂いております…。
それでは早速、本日のお題に参りましょう。

日本酪農発祥の地に行ってみた!

チーズラヴァーズの皆さん、こんばんは~! 今宵も始まりました「Cheese FM」のお時間です。

今回はお便りをお休みし、久しぶりのレポート回になります~!
この前の夏休みに千葉県の南房総に行きまして、たまたま日本酪農発祥の地である「千葉県酪農のさと」を訪れる機会がありました。
ここ実は、日本の酪農の歴史を知るのにすごく有益な場所で、施設内にある酪農資料館では日本の酪農がどのように始まったのかを詳しく知ることができました!ということで、今回は私が「千葉県酪農のさと」で勉強した日本の酪農の歴史についてお話ししますね~!

ラヴァーズの皆さんは日本の酪農の歴史がどのように始まったのか考えたことはありますか?
もちろん、私たちが生きている時代は既に身近に牛乳やチーズがありましたので、改めて考える機会ってなかったと思うんですよ!
これを機に、日本での牛乳・乳製品の成り立ちを知っていきましょうね。

さて、日本に初めて乳製品が入ってきたのは飛鳥時代で、渡来人とともに大陸から伝わったといわれています。
牛乳を煮詰めて作る「蘇」という元祖チーズのようなものが滋養薬として紹介されましたが、貴族などの一部の人しか味わえない貴重なものでした。

原料が限られ、手間がかかる当時の牛乳や乳製品は、庶民には普及せず、一旦歴史上から姿を消します。
ずっと飲まれていたわけではなかったんですね。

1728年、江戸時代に8代将軍の徳川吉宗が、オランダ人に勧められ、将軍家の牧場「嶺岡の牧」にインド産の白牛3頭を輸入し、繁殖させました。
まさにこの「嶺岡の牧」が、私が訪れた千葉県南安房市にある「千葉県酪農のさと」で、日本酪農の始まりの地なんですね!

この白牛は、英語ではゼブー種またはブラーマンと呼ばれる品種の牛です。
真っ白な体にラクダのようなコブがあるのが特徴で、耳が垂れているのが大変愛らしいですね…。
最多時には70頭ほどまで増えたとされていますが、明治初期に流行した伝染病により多くが亡くなってしまい、ホルスタインが主流になったことから途絶えてしまったとされています。
まさかホルスタインではなく、白牛が日本で初めて飼育された牛だったとは驚きですね…!
さて、話を戻しまして…、

徳川吉宗は白牛の乳で蘇に似た「白牛酪」という乳製品を作らせ、強壮剤や解熱剤として用いました。
やがて白牛酪は生産量が増え、江戸の庶民にも販売されました。
白牛酪…、いったいどんなチーズだったのでしょうね。大変気になります…!!

そして時代は変わり、日本は文明開化を迎え、本格的な牛乳の生産・販売に取り組み始めました。
明治33年頃の東京では、牛乳の殺菌機を備えた「ミルクホール」と呼ばれる牛乳販売店ができました。
お店の中で牛乳や軽食をとることができ、若者の社交場になるとともに、一般の人が牛乳を飲む習慣をつけるキッカケのひとつになりました。

このあと学校給食に牛乳が出るようになり、さらに牛乳や乳製品が普及されていくのですが…、残念なことにそろそろ終わりの時間のようです。
さて、日本酪農の歴史はいかがだったでしょうか?
思っていたよりも昔からチーズの類似品が作られていたことに驚いたラヴァーズも多かったのでは?
ちなみに、あのかわいい白牛は「千葉県酪農のさと」に3体飼育されていますので、気になった方は旅行がてら行ってみてくださいね!!
それではまた来週! See you again!!

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