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野澤組の150年の歴史

士魂商才

samurai spirit & business acumen

士魂は“武士の気構え”を、商才は“商人の才覚”を意味する。
公益についても配慮する志士としての一面と、好機を逃すことのない実業家としての
行動力を、常に持ち合わせているということ。

  • 1869年(明治2年)

    創業~野澤組発足

    創業者の野澤卯之吉が、外国の雑品小物唐品の小売店を東京・京橋で開業。後に法人化した際、屋号を「野澤組」とする。
    卯之吉は、毛織物や綿織物、ガラス製品などを外国から直接買い付け、また日本の農産物や麦稈真田などを直接輸出し、当時の居留地貿易を打破した自由貿易のパイオニアとなる。
     
  • 1897年(明治30年)

    絹織物の輸出開始

    繊維部

    横浜支店に絹部を設置し、羽二重を主とする絹織物の輸出を開始。
    大手紡績会社の絹織物を独占して、米国や豪州などへ大量へ輸出する。
    当時、日本で生産していた生地だと海外では用途が限られるため、改良を重ねながら輸出高を増やしていった。
     
  • 1900年(明治33年)

    ロンドン支店を開設

    初の海外前線基地として開設。
     
  • 1900年(明治33年)

    サラブレッドの輸入開始

    畜産部・機械部

    ロンドン支店の開設を機に英国産サラブレッドの種馬を輸入して宮内省へ納入。野澤組の生体輸入事業(畜産部)がスタートする。日露戦争以降は軍馬の改良と増殖に向けた種馬の輸入も担い、1933年(昭和8年)にはアメリカより種雄牛を輸入。生体輸入で、日本の畜産の歴史を開いた。
     
  • 1911年(明治44年)

    ニューヨーク支店を開設

    米国における絹織物の売上向上をめざして、ニューヨーク支店を開設。現地に駐在員と在庫を置き、売ってなくなったら絹織物を補充するという自立型の運営で、米国市場を開拓していく。
     
  • 1915年(大正4年)

    軽井沢で別荘地分譲

    事業の進展とともに、貿易リスクによる不測の損失に備えるため、不動産事業を創設する。後に「世界に通用する理想的な別荘地」を目指して、熱海と軽井沢の土地を買い付け、温泉の発掘や別荘地の開拓、さらには道路開発や環境整備事業にも着手する。
    「地元民のためになる開発」は、自分の利益だけでなく「相手も利益を得る」というWin-Winの考え方に則って、計画を順調に進めていった。
     
  • 1918年(大正8年)

    シドニー支店を開設

    政府の羊毛資源確保の国策に基き、この年より綿羊の輸入開始。
     
  • 1931年(昭和6年)

    オランダのFrico*
    (オランダ・現FrieslandCampina社)
    よりチーズの輸入を開始

    北海道でチーズ専門工場を設立する乳業メーカーの本格生産の開始に向けて要請を受け、オランダのFRICO社と契約し、ゴーダチーズ・エダムチーズの輸入をスタート。FRICO社とは90年以上経った現在も取り引きを継続している。
     
  • 1933~34年(昭和8~9年)

    米国より種雄牛を輸入

     
  • 1951年(昭和26年)

    沖縄出張所を開設

    米国の管理下にあった沖縄において開設を認められたのは商社として第1号であった。
     
  • 1951年(昭和26年)

    洋食器等の家庭用品の輸出を開始

    米国向けに、洋食器等の家庭用品の輸出をスタート。1961年(昭和36年)には、新潟・燕に食器の輸出拠点を開設するなど、家庭用品部は野澤組の最大部門としてピークを迎えた。
     
  •  
  • 1955年(昭和30年)

    Chr. Hansen
    (デンマーク)より乳酸菌の輸入を開始

    畜産部・機械部

     
  • 1956年(昭和31年)

    Manor Dairy社*
    (デンマーク・現Arla Foods社)よりチーズの輸入を開始する

     
  • 1956年(昭和31年)

    ゴーダチーズで日本にピザを広める

    日本で最初のピザレストランが開業し、輸入するのが困難だったモッツァレラチーズの代わりにゴーダチーズを野澤組では積極的に勧めた。グループ会社に加工工場を開設し、スライスチーズなどの商品開発を進めた。
     
  • 1958年(昭和33年)

    ニュージーランドよりチーズの輸入を開始

     
  • 1965年(昭和40年)

    ハンブルグ駐在事務所を開設

     
  • 1967年(昭和42年)

    台湾・台北駐在員事務所を開設

     
  • 1968年(昭和43年)

    豪州・メルボルン事務所開設。

     
  • 1968年(昭和43年)

    野澤喜八郎社長
    輸出振興に尽力せる功績により
    内閣総理大臣より表彰

     
  • 1970年(昭和46年)

    Probst社*
    (スイス・現Emmy社)よりチーズの輸入を開始する

     
  • 1972年(昭和47年)

    野澤北海道農場を設立

    畜産部・機械部

    当初の目的は牛の防疫検査施設として北海道・千歳に設立。その後、北海道で輸入牛への期待が高まり、野澤組が輸入した乳牛を酪農家に分けようと積極的にこの農場を利用。年間約2,000頭もの種牛の生体輸入を行っていた。
     
  • 1980年(昭和55年)

    imv社(フランス)と人工授精並びに
    受精卵移植(ET)関係の諸技術、
    諸機器の日本向け独占販売契約を締結

    乳牛の人工授精・受精卵移植(ET)関連技術や機器の独占販売契約を締結。世界基準の凍結精液生産システムの導入を実現し、1頭の雄牛から何千頭の雌牛への種付けが可能になった。
     
  • 1984年(昭和59年)

    凍結精液の輸入開始

    畜産部・機械部

    米国のWorld Wide Sires社やカナダのSEMEX社と乳牛の凍結精液輸入代理店総契約が成立し、凍結精液の輸入が始まった。
     
  • 1985年(昭和60年)

    Ambrosi社(イタリア)よりチーズの輸入
    を開始する

     
  • 1987年(昭和62年)

    輸入販売会社として「フードフアッション」、製造加工会社として「エフ・エフ・シー」を設立

     
  • 1995年(平成7年)

    MGC*からチーズの輸入開始
    (オーストラリア・現Saputo Dairy Australia社)

     
  • 1997年(平成9年)

    ジーンズ関連の生産基地を
    中国山東省煙台・威海地区へシフト

    1970年代にナショナルブランドの日本進出に伴いジーンズファッションを輸入販売していたが、広島と岡山に工場のネットワークを構築し、国内生産にシフト。そこから中国工場での生産へ。
     
  • 1997年(平成9年)

    中国威海公司・伊予アパレルと合弁で
    「威海迪尚岡本服装有限公司」を設立

    野澤組初の合弁会社、OEMがここからはじまる。
     
  • 1998年(平成10年)

    Sachsenmilch(ドイツ)からチーズ及び
    乳製品の輸入開始

     
  • 2007年(平成19年)

    独自ブランド包丁「TAMAHAGANE」誕生

    燕の食器メーカーと自社オリジナル・ブランドを開発。「日本の技術力を世界に広めたい」と、野澤組はメーカーの海外販売を支援し、独自ブランドの包丁「TAMAHAGANE」が誕生する。
     
  • 2009年(平成21年)

    オランダ・アムステルダムに野澤組アムステルダム事務所を設立

     
  • 2013年(平成25年)

    札幌営業所を閉鎖、前年帯広に開設したサポートセンターに移設し北海道営業本部へ

    北海道事業所の統合
     
  • 2014年(平成26年)

    10月、日本食品の
    輸出プロジェクト開始

    開発部

     
  • 2018年(平成30年)

    新しい経営理念を作成、
    ジュニアボード設置

     
  • 2023年(令和5年)

    東京本社を移転

     

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